I.京築地方の中小企業に共通する課題

京築地方(行橋市・苅田町・みやこ町・築上町・上毛町・吉富町・豊前市)には、製造業・建設業・運送業・小売業・農業法人など、地域経済を支える中小企業が多く存在しております。これらの多くは、創業者ないしその子の世代が経営を続けてきた家族経営的な企業です。

その経営者の皆様が、近年、共通して直面しておられる課題があります。

これらの課題は、いずれも「会社」という事業の論理「家族」という関係の論理が交差するところで生じます。会社にとっての最適解(後継者に株式を集中させる)が、家族にとっての最適解(兄弟姉妹で公平に分ける)と一致しないところに、事業承継の本質的な難しさがあります。

II.事業承継の三つの相手

事業承継には、大きく三つの選択肢があります。

第一に、親族内承継です。子や配偶者など、家族の中に後継者を求めるパターンです。京築地方の中小企業ではこれが最も多い形ですが、近年は子の独立や転職、後継者意思の低下により、ご家族のなかから後継者を選ぶことが難しくなっておられる経営者も増えてまいりました。

第二に、従業員承継です。長く勤めてきた幹部社員に経営を譲るパターン。後継者の経営能力は見えやすい一方、自社株を買い取る資金力をどう用意するかが課題となります。

第三に、第三者承継(M&A)です。同業他社や事業会社に会社全体を譲渡する手法。これは「事業承継」というよりも「事業の譲渡」に近いと理解した方が実態に即しています。

このコラムでは、京築地方で最も需要の多い親族内承継を中心に整理してまいります。

III.自社株の評価

事業承継の出発点は、自社株がいくらと評価されるかを知ることです。非上場会社の株式は市場価格がないため、税務上の評価方法が国税庁の財産評価基本通達によって定められております。

主な評価方法は、次の三つです。

評価方法 概要
純資産価額方式 会社の純資産(資産−負債)を、相続税評価額ベースで計算し、それを発行株数で割った金額
類似業種比準方式 同業種の上場会社の株価を基準に、配当・利益・純資産の三要素を比較して評価
配当還元方式 過去の配当実績から逆算する方法。少数株主向けの簡便な評価

どの方式が適用されるかは、会社の規模(大会社・中会社・小会社)や、株主の属性(経営支配株主か否か)によって決まります。同じ会社の同じ株でも、誰が、どのような事情で取得するかによって、評価額が大きく変わるのがこの分野の特徴です。

Point

業績が好調で内部留保が積み上がっている会社ほど、純資産価額方式での評価額が膨らみます。「会社の通帳には残高があるけれど、自分の手元には大きな現金はない」というご経営者にとって、自社株の評価額が想像以上に高くなることがあり、これが相続税の納税資金問題を生みます。早めの株価試算が、対策の出発点です。

IV.遺言による承継

自社株を特定の後継者に承継させる、最も基本的かつ確実な手段が遺言です。

遺言がない場合、自社株は他の遺産と同様、相続人間の遺産分割協議の対象になります。協議がまとまらなければ、自社株が複数の相続人による準共有状態となり、議決権の行使が一本化できなくなります。これは、経営判断の停止という深刻な事態を招きます。

遺言で「自社株はすべて長男に相続させる」と定めておけば、相続発生と同時に長男が単独で株主となり、経営の継続が確保されます。京築地方の事業承継においては、公正証書遺言の作成を強くお勧めしております。公証人の関与により、形式上の不備が排除され、紛失や偽造のリスクも回避されます。

Tips

遺言で自社株を後継者に集中させる場合、後継者以外の相続人への配慮も並行して考えるべきです。例えば、預貯金・不動産を他の子に渡す、生命保険金の受取人を他の子に指定する、といった工夫により、家族全体の納得感を確保することが、遺言の実効性を支えます。

V.遺留分という壁、そして民法特例

ところが、自社株を後継者に集中させる遺言には、遺留分という壁があります。遺留分とは、配偶者・子・直系尊属に法律上保障された、最低限の取り分のことです。

例えば、相続人が長男・次男の二人で、遺産のほぼ全てが自社株(評価額三億円)だったとします。「長男にすべて相続させる」という遺言があっても、次男には遺留分として遺産全体の四分の一(七五〇〇万円相当)の権利が残ります。次男が遺留分を主張すれば、長男は次男に対し遺留分侵害額に相当する金銭を支払わなければなりません。手元に七五〇〇万円の現金がなければ、長男は自社株の一部を売却するか、借入で工面することになります。

この問題の打開策として、平成二十年に制定されたのが中小企業における経営の承継の円滑化に関する法律(以下「経営承継円滑化法」)であり、その中の民法特例です。経営承継円滑化法の民法特例には、二つの仕組みがあります。

特例 内容
除外合意 後継者が先代経営者から贈与・遺贈を受けた自社株について、遺留分の計算から除外する旨を、推定相続人全員で合意する制度
固定合意 遺留分算定の基礎となる自社株の価額を、合意時点の価額に固定する制度。後継者の経営努力により株価が上昇しても、その上昇分は遺留分の対象とならない

これらの特例を活用するには、推定相続人全員の合意・経済産業大臣の確認・家庭裁判所の許可という三つの手続が必要です。手間はかかりますが、それに見合うだけの効果があります。とりわけ業績好調な会社では、固定合意の意義が大きくなります。

Caution

除外合意・固定合意は、相続人全員の合意が前提です。「弟が反対するから無理」というケースでは使えません。家族関係が円満なうちに、早めに着手することが肝要です。家族関係が壊れてからでは、どの法的手段も実効性を失います。

VI.家族信託による承継

遺言・民法特例と並んで近年注目されているのが、家族信託を活用した事業承継です。

家族信託の基本構造は、財産を持つ人(委託者)が信頼できる家族(受託者)に財産の管理・処分を託し、その利益を一定の家族(受益者)に得させる、というものです。事業承継の文脈では、これを次のように使います。

この構造の効用は、議決権の行使を後継者に集中させながら、経済的な利益を現経営者が生前は保持することができる点にあります。後継者は受託者として議決権を行使し、経営判断を下します。現経営者は受益者として配当などの経済的利益を受け取り続けます。

さらに、現経営者が信託契約後に判断能力を失った場合でも、受託者である後継者が議決権を行使し続けられるため、経営の空白が生じません。これは、認知症の進行リスクと隣り合わせの中小企業経営において、極めて大きな価値を持ちます。

家族信託と遺言は、両立する道具です。家族信託で生前の経営移管を進めつつ、遺言で死後の財産関係を整える、という組み合わせが実務上よく用いられます。

Tips

家族信託と任意後見、それぞれの違いについては、当サイト内の「家族信託と任意後見──どちらを、いつ選ぶべきか」をあわせてご覧ください。

VII.事業承継税制という選択肢

自社株の相続税・贈与税の負担を軽減する制度として、事業承継税制(非上場株式等についての相続税・贈与税の納税猶予及び免除の特例)があります。

この制度を活用すれば、後継者が引き継いだ自社株について、相続税・贈与税の納税が猶予され、後継者がさらに次の後継者に承継した時点で免除される可能性があります。

令和六年度税制改正により、特例措置の適用期限や事前計画提出期限が延長されておりますが、本制度の利用は本稿執筆時点で令和九年(二〇二七年)十二月三十一日までの相続・贈与が一つの区切りとなっております。今後の改正動向にもよりますが、現時点で適用を検討するなら、早めの計画提出が望まれます。

ただし、事業承継税制は適用要件が複雑で、適用後の継続要件(雇用維持・株式保有等)を満たし続けなければ、猶予が打ち切られて納税義務が復活するというリスクもございます。税理士と連携した綿密な検討が必須です。

Caution

事業承継税制は強力な制度ですが、要件を満たさなくなれば猶予が打ち切られ、利息相当額(利子税)を含めた多額の納税が一度に発生するリスクがあります。「使えれば必ず得」とは言い切れない点にご注意ください。長期的な経営計画と一体で検討する必要があります。

VIII.早めの着手が、選択肢を広げる

事業承継のあらゆる手段に共通するのは、早めに着手するほど選択肢が広がるという点です。

遺言は、判断能力があるうちにしか作成できません。家族信託も同じです。経営承継円滑化法の民法特例は、推定相続人全員の合意が前提です。事業承継税制は、事前の特例承継計画の提出が要件となります。いずれの手段も、「いざとなったら使う」ことはできない仕組みになっております。

「まだ早い」とお感じになるかもしれません。けれども、五年後・十年後の自社株の評価額、家族関係、経営環境を、今から完全に予測することは誰にもできません。完全な計画を立ててから動くのではなく、今できる第一歩を踏み出すことが、結果として最も多くの選択肢を残します。

当事務所では、京築地方の中小企業経営者の事業承継について、遺言・信託の設計から、経営承継円滑化法の民法特例・事業承継税制の適用支援までを、提携する税理士・司法書士と連携しながら一貫して承っております。「具体的にはまだ何も決まっていない」という段階でのご相談を、お待ちしております。